好きなものをちゃんと愛するブログ

25歳男。エンジニアとして再就職。自分が機嫌良く生きていくことがテーマ。

人を勝手に不幸認定しないように気をつけます。

本読んだり、ネットで人のブログとかサイト見てるとすごく勉強になります。

それは知識だったり、情報だったり、心や生き方に関することだったりさまざまてす。


そういう新しいことを勉強すると、僕の場合ついつい「人にも教えたい!」という気分になってしまいます。


あの人がこれ知ったら人生良くなるぞー!(・∀・)ノ

とか、

あいつこの事で悩んでたから、これ教えてあげよー!(・∀・)ノ


とか、


誰に聞かれるわけでもないのに、勝手に「この情報はあの人に役立つ!」と決めて、話したくて仕方なくなってしまうことがあります。


半分親切心、半分おせっかいからの行動なのですが、ちょっとこれからは控えようかな、と思い始めました。


と思うのは、やっぱり人は生きることに対するテンションがそれぞれ違うと感じたからです。


生きるテンションが違う人からの言葉ってうまく受け取って貰えないと思うし、ただの価値観の押し付けになると感じました。


どういうことかというと、

例えば僕の人生は自分が気分良くいられるように自分で作っていきたい、という気持ちがあります。

だから、自分が会いたい人に会いにいくし、やりたいことをやる。
言いたいことは言うし、嫌なことはやらない。

そのかわり人との衝突もあるし、全てが自己責任だから不安になることもあります。



そんな自由気ままに生きるというテンションの自分がいる一方で、「縛られて、守られて生きたい」というテンションの人もいます。



周囲に気を配って協調性があり、
頼まれごとは素直に受け入れる。
嫌いな人とも穏便に対応して、周りの意見に従って生きる。

理不尽なことも我慢して受け入れて、ストレスは溜まるけど、大きな問題を起こさないので組織から守られて、あまり責任を負わずに生きられます。


こういう生き方が好きな人もいます。




これはどっちがいいとかではなく、そもそも生きることに対するテンションが違うので

例えば上司の行き過ぎた嫌がらせに悩んでいる友人に「舐められないように勇気だしてガツンと怒ってみろよ!扱い変わるから!」

と言ったとしても、後者の生き方を好む人だと、その後の待遇が気になって実行できないんですね。

そういう人生を送ってこなかったので無理もありません。


言いたいこと言ってきた僕の経験上だと、不満を正直に伝えることで物事が好転しかしてこなかったので、全然怖いものではないことがわかっています。


そのため、以前は行動に移さない友人のことを「横着ばかりして、人生を良くしようっていう気持ちがないんだな…」と思って残念な気分になっていました。


でも実際はそういうことではないんですね。


人生を色んなテンションで生きている人がいて、その人にとっては自分の意見を通すことは重要ではなく、周囲と和を保って生きることが大切。


そんな人にとっては、現状の打開策を提案することは有難いことではなく、ただ愚痴を聴いて共感してあげることのほうがよっぽどその人の役に立つことだなあ、と感じるようになったのです。


自分の物差しで人の幸不幸を判断して上からアドバイスみたいなことをするのではなく、

周囲の人はみんなそれなりに幸せである、と思ってみようと思いました。


話が脱線しましたが、
その上で知識やアドバイスを求められた時だけ提供するのがいいと思います。